*このページの内容は、「ふたりあるき」の日記と同じですが、時々更新が遅れます。相変わらずのんびりな私たちでごめんなさい。
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のんびり引退した初代介助犬ニッキーと、2代目介助犬アルファの同居生活。
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きっかけは…
 ここ2、3日、お腹の調子がよくない私は、トイレに頻繁に通っている。腸からの緊急信号を察知して、部屋からトイレに移動するまでのいろいろな動作が、アブナイ。
 例えば、両手を壁についてそろそろと移動すれば大丈夫でも、急ぐために片手だけでつかまると、その分足とお腹に力が入る。ドアを開けるために身体をまっすぐ起こして足を踏んばるのも、同じようにあちこちに力が必要になる。場合によっては、トイレに行く途中で…………悲惨な状況になることも。
 今朝、台所でお米をといでいたら、いきなり緊急事態がやって来た。一刻も早くトイレに行かなくちゃ! 壁に両手で身体を支えながら、じわじわと移動する。トイレの前にたどり着いた時はもう限界で、へっぴり腰の不自然な姿勢で壁にしがみついた。
「ニッキー、タグ・オープン(紐を引いてドアを開けて)!」
 おやすみになっておられたニッキー様は、即座にお立ち上がりになり、ドアを開けてくださった(緊急事態を救っていただいたので敬語)。
「グッド!」と言うつもりが「間に合った!」と言ってしまった。

 無事トイレを出てゆっくり思い出すと、さっきのニッキー、いつもとはドアの開け方が少し違ったようだ。
 左に開くドアだから左側から紐を引くべきなのだが、10センチほどの段差があり、さらに私が手すり代わりに使う大きな椅子もあるので、ニッキーがドアの左側に後退するのは難しく、いつもは少々無駄な力を使って右側から開けてくれる。
 今日は、私がドアの右側に変な姿勢ではりついていたので、ニッキーは右に行けず、後ろ向きに段差を上がりながら左にドアを開けた。いつもより早く、大きくドアが開いた。
 せっかくなので、さっきと同じ姿勢でもう一度「タグ・オープン!」と指示してみる。ニッキーは最初、ドアの右側に行こうとし、私にぶつかってしまうと分かると左側に行った。またも後ろ向きに問題なく段差を上って。ドアも見事に全開。「グッド!」
 日々数限りなく繰り返してきたトイレのドア開けが、今になってこんなきっかけでちょっと改良された。怪我の功名…じゃなくて下痢の功名?
 思い切り褒められたニッキーは、まるで新しいことのように、いつものドアをいつもと違う方法で開けることを楽しみ、私のリクエストに応えて何度もやって見せてくれた。
| ニッキーのこと | - | - |

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涙?
 いつもうるうるのたれ目で見つめるニッキーだけれど、今日は特別うるうるしていると思ったら、何だか目が赤くなってしょぼしょぼと涙をためている。とりあえず、前回目が赤くなった時と同じ目薬をさすことにした。
「にっちゃん、目薬だよ」と言ったら、ニッキーはテーブルの上を探し始めた。私の目薬を持ってくるつもりらしい。ニッキーにとって「目薬」は、あの小さな容器と目薬の匂いのことで、自分の目の中に液体を入れられることだとは思っていないようだ。油断しているニッキーに一気に目薬をさしたので、あっという間に終了。
 ニッキーさんは目薬を「異物」と感じたのか、前足をなめて猫のように顔を洗い始めた。前足から目にばい菌が入るかもしれないから、やめさせなくちゃ。「やめてね」と声をかけると、意味が分かっているのかどうか不明だが顔をあげてこっちを見るので、ニッキーが顔を洗うたびに繰り返す。
 私が声をかければ、じっと目を見返して、私の気持ちを感じ取ろうとしてくれるようなニッキー。その表情がいとおしい。いつの間にか顔を洗うのをやめたニッキーと、何となく見つめあっていたら、ニッキーの両目から、突然ぽろりと涙がこぼれた。
 目が痛いせいなのか、さっきの目薬がこぼれたのか、どちらかなのはよくよく分かっているけれど、何だかちょっと…こちらも涙ぐみそうになってしまった。
 でも。その後ごはんをばくばく一気に食べた時も、両目から涙を流したニッキー(これは物理的な原因があるらしい)。多分、特別なことなんて何も考えていないだろうな…。
 確かにニッキーは、心の通じる犬なのだけれど、だからこそ擬人化したら失礼なのだ。
| ニッキーのこと | - | - |

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贅沢なひととき
 天気もいいし、ゆっくり散歩に行こう、と思い立った午後。ずっと簡単な散歩ばかりだったから、ニッキーにハーネスを着けるのもちょっと久しぶり。ニッキーはハーネスを見て、大喜びでテンションが上がる。
 大通りに出て坂を上り、下り、また上って駅前まで行き、本屋で立ち読みし、買い物して帰る途中で動物病院に寄り、いつものサプリメントを買ったついでに健康チェックもしてもらう。
 と書くと簡単だが、途中でトレーニングのおさらいをしたり、ニッキーを自由にさせる時間を作ったり、ジュースを買ってひと休みしたり…といろいろあって、結局4時間ほど近所を歩き回った。

 なんて贅沢な時間だろう。

 家から1歩出れば、自由な移動はままならない私。何度交渉しても「弱視者に電動車椅子は駄目」「ガイドヘルパーは不要」と言われ続け、手動車椅子でゆっくりバス停まで、が現在独力での限界なのだ。無理をすれば途中で動けなくなる不安が常にある。
 バスと電車を使い、友人に助けてもらえば、確かに遠くまで出かけることも可能だ。でもそれには最初にきっちりと、何曜日の何時にどこへ行く、どの駅で乗り換え、どこに坂があり階段がある、どこで誰にどう手伝ってもらう、と計画を立てないと実行できない。
 誰かの手を借りる以上、理由も必要になる。「天気がいいからちょっと…」では誰も助けてくれないし、「障害に甘えて他人に迷惑をかけて云々」と説教される。
 何の計画も立てず、天気がいいから出かけるなんて、以前は考えたこともなかった。自分ひとりで行き先を決め、誰にも遠慮せず、介助犬ニッキーと共に自分で車椅子で歩いていけることは、当たり前であり、最高の贅沢。
 車椅子が動かせない時に助けてくれ、自動ドアのボタンを押してくれ、落とした商品を拾ってくれて、ニッキー、ありがとう。
 そしてそれ以上に、「散歩に行きたい」という想い、「万一動けなくなっても大丈夫」という安心、空を見上げたり、風を聴いたり、雑草の花と出会ったりするゆとりをくれて、ありがとう。
 こんな時間が、将来ニッキーが引退し、私の体力視力がもっと落ちた時、それでも実現するといいな、と思う。それは多くの部分でそのときの「社会」に左右されることだから、心配だけど。
| つぶやき | - | - |

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視野の中心
 座って本を読んでいる私に、ニッキーが近づいてきて「水が欲しい」と訴えた。でも、私の左側から見つめていたので、左側が見えない私はしばらく気づかなかった。
 外出した時は、左側にある障害物を避けてくれたり、足元の段差を教えてくれたりするニッキーだけれど、私の視力を正確に理解している訳ではなく、経験から知っているだけ。左目が見えない私は、常に顔を左に傾けて右目で正面を見るから、ニッキーは私が左側を見ていると勘違いするのかもしれない。
 顔を傾けつつ正面しか見えない私は、すぐ側にいる人に気づかなかったり、話をしながら「無視している」と誤解されたりする。見えないことそのものよりも、対人関係が悪化することの方が辛い。
 年齢を重ねて図々しくなり、他人にどう誤解されても仕方ないと諦められるようになったけれど、大事なニッキーに誤解されては困る。昨年の大病以来、具合が悪ければ私に訴えてくれるニッキー。もし訴えられても気づかずに無視してしまえば、ニッキーと私の信頼関係にも影響があるかもしれない。

 弱視や視野狭窄の見え方は、人間にだって説明しても解ってもらえないくらいだから、ニッキーに理解してもらうのは無理。でも、私に何かを訴える時はこの位置で、と教えることは出来る。時間もあったので、遊びを兼ねてニッキーに教えてみることにした。
 おいしそうなトリーツをたくさん持って、私が座る。ニッキーはそれが欲しいから、一生懸命アイコンタクト。その姿が私の目ではっきり確認できた時だけ「イエス!」と合図して、褒めながらトリーツをひとつあげる。
 3回繰り返したら、ニッキーは理解したらしい。あっちを向いたりこっちを向いたりしても、ちゃんと私の視野の真ん中、絶妙な距離と場所に来てくれるようになった。
 何を教えるにもタイミングが遅れがちな私だけれど、今回はとてもうまく行った。「見えたらボタンを押す」という、病院で時々受ける視野検査と同じだからか??
 ニッキーは調子に乗って、大した用事のない時にも私の視野のど真ん中でお座りをしてみせたりしている。私の片目とニッキーの両目で見つめあった。
| ニッキーのこと | - | - |

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「犬の石鹸」と「黒まりも1号」
「昨日つくった我が家のカレー」を手土産に、実家の両親が来てくれた。ニッキーはもちろん両親を大歓迎、耳を倒して嬉しそう。私も久々の我が家の味が嬉しかった。
 母にお風呂場でニッキーを洗ってもらった。ゴッシーことG訓練士にもらった「犬の石鹸」を初めて使ってみる。予想より泡立ちもよく、シャンプーで洗うより皮脂がよく落ちるようで、しっとりよりもさらさら、きゅっきゅっ、という感じ。
 すっかり乾いたら、ラブにしては毛が長いくせっ毛のニッキーは、天然パーマがくっきりと際立って、寝癖のようでおかしかった。それだけふわっとしたということ? 皮脂の多いニッキーには、この石鹸かなりよさそう。

[写真]犬の石鹸。箱が犬の形で、本体には犬の足あとマークが型押しされている。

 あれこれしてから、両親はニッキーに好物のグリニーズを渡して帰っていった。そして、ふわふわ・さらさらのニッキーを撫でながら…あれをやるなら今しかない! と私は思い立った。
 前回のシャンプー以来、ニッキーの抜け毛で何か作れないかと本当に考えて、ネットで検索して見つけ出した「犬の毛ボール」。犬の毛を洗剤の入ったお湯の中で揉んでフェルト状の小さなボールにする。これなら手が不自由でも出来そうな気がした。
 洗いたてのニッキーは撫でていると自然に毛が抜けてくる。ラバーブラシも使って、抜け毛をひと塊集めると、台所へ。丸くなったモモンガ(ハムスターより大きい)ぐらいあった毛はあっという間に小さくなり、熱湯で引き締めながら丸くしたら、バター飴ぐらいの丸い物体になった。
 かくして完成した「黒まりも1号」は、おにぎりもまともに握れない私の作品らしく、すぐ崩れてしまいそうだし、形もいびつ。でも表面にすっと白髪が1本見えていて、いかにも今の年齢のニッキーの記念のようになったのが嬉しかった。明日、乾いたらつんつん飛び出した硬い毛をはさみで切って出来上がり予定。
 あまり可愛い見た目にはならなかったけど、私にはニッキーの抜け毛まで可愛いんだから、気にしない、気にしない!
| できごと | - | - |

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感心?
 ほんの少しだけれど、久々にハーネスもケープも着けず、リードを長く伸ばして散歩した。ニッキーはよそ見をしたり、道端の匂いを嗅いだり、向こうから来る犬にしっぽを振って興味津々だったり、前に出たり遅れたり。気楽な散歩を楽しんでいた。
 空き地に生えている草の匂いを嗅いでいるうちに、夢中になったニッキーは、リードをぐいぐい引っ張っている。「ニコさん、ちょっと?」と声をかけても気にしない。気づかないのかも。
「ハーネスを外せば普通の犬」なのはいいとしても、飼い主が呼んでも気づかないのでは、「普通以下の犬」だ。それはちょっとまずい…。
 でもひとつだけ、ニッキーをすごいなと思った。それは、草むらをがさがさ動き回って足に絡んだリードを、いとも簡単に自分で外していること。匂い嗅ぎに集中しているのに、同時に足に絡んだリードはちゃんと直している。
 ニッキーの足にリードが絡んだ時、私は外してやることができない。だから自分で外すことを教えた。さらにニッキーは経験から、絡んだリードはすぐに外さないともっと絡んでしまうことに気づいて、今では何も言わなくても、リードが絡んだら即座に外すようになった。
 右でも左でも、どんな絡み方をしても上手に足を外すニッキーを見ていると、頼もしいけど、飼い主としてあまり手をかけてやれなかったせい? とちょっと反省してしまう。
 甘えん坊のくせに、こういうところだけは見事に飼い主の助けを必要としないニッキー…微妙に淋しい私なのだった。
| ニッキーのこと | - | - |

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不調な休日に雹が降る
 体調が悪かったり疲れたりすると、まずいちばん弱いところに出るとかで、私は目が痛くなったり、眼圧が上がったりする。ニッキーさんの場合は胃腸に来る。
 せっかくの日曜日だけど、私は目が痛いし、ニッキーは胃の調子がよくないしで、出かけるのをやめて家にいることにした。ふたりとも自覚はないものの、多分疲れているんだろう。
 胃にガスがたまり気味なのか、げっぷをしているニッキーには、普段1日2食のフードを1日3食に分けて、ゆっくり食べさせることにする。ニッキーは、いつもより少ない朝ごはんに大いに不満な様子。「まだあるよね? あるよね? ないわけないよね?」と、いつまでも食器の前で訴えていた。回数が増えているから同じなんだけど…そういうことは解らないニッキーなのだった。

 午後、ぼーっとしていたら、遠くで雷が鳴り出した。雷に続いて雨…と思ったら、何だかぱちぱちと固いものが降っている音。
 窓から外を見ると、隣の黒っぽい瓦屋根に白くて光る小さな丸いものがいくつも弾けて、放物線を描いて飛んでいた。粒の大きな雹? のようだ。
 まさかこれ、積もらないよね? 外の洗濯機と車椅子に傷がついたりしないよね? と少々気になったが、珍しい光景に見入ってしまった。雹の粒、見る角度によってはなかなか綺麗だ。
 でも、もしも外出中にいきなり雹に降られていたら、車椅子が動かせなくなったかもしれないし、大きな雹が直撃して痛い目に遭ったかもしれない。車椅子と大型犬のコンビでは、とっさの雨宿り(雹宿り?)の場所がなかなか見つからないこともある。
 ニッキー、今日は出かけなくてよかった、ってことかな? 早くお腹の調子がよくなるように、ゆっくり休もうね。
| できごと | - | - |

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コンビニで
 去年近所に出来たコンビニは、幸か不幸か犬の好きな店員さんが揃っている。深夜の人の少ない時間だと、ニッキーを見るなりしゃがんで視線を合わせ、「いい子だねぇ、かわいいねぇ」とべたべたに可愛がってくれる人も。
 ハーネスを着けている時には困ることではあるが、最近は私がニッキーに何か指示すると、撫でていた手をさっと引っ込め、「仕事は邪魔しないように…」なんて言ってくれるようになった。
 最初から「介助犬に触らないで」と言うことも必要だろうけど、出来れば「何故、触ってはいけないのか」を実際の介助犬とユーザーを見ながら自然に理解してもらえるといいな、と思う。
 今日はニッキーに、飲み物の冷蔵庫を開けてもらった。自分で開けることも不可能ではないけれど、私は冷蔵庫の扉を手前に引きながらうまく車椅子を動かすことができないし、大きく開くことも出来ないので、取っ手の近くのものしか取れない。
 取っ手にいつも持ち歩いている紐を取り付けて、「ちゃんとオープン」と、日本語と英語まぜこぜで指示を出す。扉が止まるまでしっかり開けてね、ということ。
 ニッキーは指示通り、ちゃんと冷蔵庫を開けてくれ、もちろん閉めてもくれた(ちなみに、ニッキーに手伝ってもらってまで欲しかったのは、「ちょっと歩くだけで脂肪が燃焼する」という触れ込みのスポーツドリンク。藁にもすがるデブの心)。
 それを見ていた店長さんに、「こういう紐があれば、簡単に開けられるんです」と何気なく説明したら、「冷蔵庫に全部紐をつけましょうか?」と言ってくれた。紐そのものの必要性よりも、そう言ってくれる気持ちがありがたかった。
| できごと | - | - |

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友人の犬の死に
 友人の愛犬が亡くなった(ネットで知り合って、文字でのやり取りをしていて、2年前に偶然セミナーでお会いして、という関係だけれど友人と呼ばせて欲しい)。2種の癌で内臓出血で苦しんでいた愛犬に、彼女は安楽死を選択した。
 安楽死を決めてから、犬は少し調子がよくなったように見え、立ち上がったり、水を飲んだりしたそうだ。彼女の心は揺れたと思う。
 大切な子が苦しんでいる時、苦しませたくなくて安楽死を選択することは出来ても、穏やかに寝ている子に安楽死を選択するのは難しい。このまま苦しまず生きてくれるかも…と誰もが考える。
 似た話を読んだ記憶がある。末期癌の犬の安楽死を予定していた日、その日に限って犬は調子がよく、元気だった頃のように生き生きとした表情を見せた、という話。
 そういうのはきっと、大切に可愛がられた動物の、最後の贈り物かもしれないと、ふと思った。
 苦しんで逝けば、飼い主はいつまでも苦しむ愛犬や愛猫の様子を思い出してしまうだろう。だから最後の最後に、元気そうに見える時間を作ってくれる。それは同時に、苦しんで何も分からない時でなく、飼い主と見つめあって、抱きしめられて命を終えたいという、動物からの最後の願いじゃないだろうか。
 友人は、きっと苦しみながら、それでも愛犬の最後の贈り物をしっかり受け止め、最後の願いを叶えてあげた。どちらが正しいとかではない。ただ、そういう選択もある。

 時々お世話になるS獣医師は、「最期をきちんと看取れる飼い主になりなさいね。自分が離れたくないから安楽死は出来ないと思ったら、それは人間のエゴ。動物のためにどうすればいいのかを考えられなければ駄目ですよ」と言う。
 1分でも一緒にいたい、と思うエゴ。苦しんでいるのを見たくない、と思うエゴ。どちらも愛情に似ているようでいて、違う。安楽死に賛成・反対、愛情で選択すればどちらでも正解かもしれない。でも愛情とエゴが、時々見分けられなくなってしまうこともある。
 私自身は、安楽死は本当に最後の手段でできるだけ避けたいと考えている。アメリカにいた時は、多くの飼い主と獣医が「当然の正義」のように安楽死を選択することに疑問を持ってもいた。ただ、動物のための愛情と、自分の感情がすり替わってはいけないと思う。
 友人の優しい愛犬の魂が、安らかでいてくれることを心から祈って…。

 この文章を書きながら涙をこぼしていた私を、ニッキーが後ろからじっと見ている。抱きしめてあげよう。
 ニッキーといつまでも一緒にいられますように。まだまだ沢山の時間を過ごせますように。そして、ありったけの本当の愛情を注ぐことができますように。
| つぶやき | - | - |

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パトカーの思い出
 深夜、必要なものがあってコンビニに行く。ニッキーとふたりで散歩を兼ねてふらふら帰ってくると、パトカーが我がアパートの方に向かっていくのに遭遇。
 暗闇で、目の悪い私にもパトカーだと分かったのは、サイレンは鳴らしていなかったけれど、赤いライトはぴかぴかしていたから。私は何となく、サイレンとライトが連動していると思っていたのだが、実は別々らしい。深夜モードがあるの?

 そういえば、何年も前、まだニッキーがいなかった頃、車椅子がパンクして交番に行ったことがある。交番の自転車には専用の修理キットがあるのだそうで、それを使っておまわりさんがパンク修理してくれた。一度はうまく行かず、自転車のチューブを私の車椅子のタイヤに入れてくれようとしたけれど、幅が違ったので失敗。結局ずいぶん時間をかけ、3人がかりで修理してもらった。
 本題はここから。
「ありがとうございました!」と帰ろうとしたら、「家はどこ?」と聞かれた。
「**町の**の近くです」「そこまで車椅子で行くの?」「そりゃそうです、歩いて行けませんから」「いや、そういう意味じゃなくて…遠いのに大丈夫? 送って行ってあげるよ」
 駅から家までの慣れた道、しかも下り坂なのだが、もしかして? という期待に私は「お願いします」と言った。
 期待通り、おまわりさんは本部? かどこかに無線で連絡をしてから、パトカーに乗せてくれたのだった。警察無線を聞きつつの帰宅。珍しい体験が出来て嬉しい私。ここまで来たら話の種にぜひとも…。
「ちょっとでいいんで、サイレン鳴らしてもらえませんか??」
「そりゃ駄目だよ」と予想通りのおまわりさんの返答だった。
 知っていたらあの時、「ライトだけ点けてください」と頼めたのに! あ、でも車内からは見えないか…。

 その後、呼び止められて交番で焼き芋をごちそうになったこともあった。来たばかりのニッキーを可愛がってくれたおまわりさんもいた。
 何だかちょっと懐かしいな。交番のメンバーはとっくに全員変わってしまった。
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[写真] 杖をくわえたニッキー
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